車いすバスケットボール競技の発展

バスケットボールは1891年にアメリカで生まれた。 多くの障害者を生んだ第二次世界大戦後、米英両国で車いすスポーツが生まれた。バスケットボール発祥の地アメリカでは車いすバスケットボールが障害者自らの手で情熱を傾ける対象として急速に普及発展し、1949年には全米車いすバスケットボール協会が設立された。

一方、英国ではストークマンデビル病院のグットマン博士により脊髄損傷者の治療法のひとつとして車いすポロやネットボール(バスケットボールの元となったスポーツ)が導入された。

この2つの流れは1950年代後半にひとつとなり、車いすバスケットボールは競技スポーツとして世界中で盛んになっていった。

車いすも当初は日常使用のものが用いられていたが、だんだんに競技用のものが工夫され、それにより現在はハイレベルな競技が行われている。

日本での車いすバスケットボールの普及

日本での同競技の歴史は、1960年に厚生省の派遣でストークマンデビル病院国立脊髄損傷センターに於いてスポーツ・リハビリテーションを学んだ国立別府病院の中村裕博士によって、大分県の国立別府病院で紹介されたのが最初であった。

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1961年に同博士の尽力で開催された第1回大分県身体障害者体育大会で車いすバスケットボールのデモンストレーションが行われた。1963年は第18回国民体育大会(山口県)後の身体障害者体育大会・山口大会でもデモンストレーション試合が行われた。

全国への普及は、1964年に開催された第2回パラリンピック東京大会(the tokyo games for the physically handicapped:paralympic)が契機となり、同競技に参加した選手や関係者によって精力的になされた。

日本での車いすバスケットボールの歴史は、昭和35年(1960年)ごろ、大分県の国立別府病院や神奈川県の国立箱根療養所などで車いすバスケットボールが紹介されたのが最初であった。

日本車いすバスケットボール連盟の結成

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東京パラリンピックが開催された3年後の昭和42年(1967年)に東京で我が国初めてのクラブチーム『東京スポーツ愛好クラブ』が誕生した。

その後、千葉、長野、別府、静岡などの身体障害者施設に次々とクラブが生まれ、またそこの卒業生が集まりクラブチームをつくるなどして、年々盛んになっていった。これらは相互に交流を行い、1970年11月29日、東京の駒沢オリンピック公園体育館で全国から福祉企業センター・労災リハビリテーション長野作業所・甲州クラブ・東京スポーツ愛好クラブ・労災リハビリテーション千葉作業所・国立身体障害者センター・ムサシノ電子工業の7チームが集まり、車いすバスケットボール競技大会実行委員会の主催で、我が国初めての『第1回車いすバスケットボール競技大会』が開催された。

翌年は大会の名称を『全国車いすバスケットボール競技大会』として日本全国から16チームが参加して開催された。これらの大会開催の実績が認められ、東京パラリンピックの翌年から始まった全国身体障害者スポーツ大会でも昭和47年(1972年)の第8回全国身体障害者スポーツ大会(於鹿児島県)から、車いすバスケットボールが公式種目として取り入れられた。

このため昭和47年、48年は独自の大会の企画がなされなかったが、全国的にクラブチームの数が増えてきており、都道府県、 政令指定都市単位でしか参加できず、8チームしか参加できない全国身体障害者スポーツ大会に対する不満がつのっていった。

そして障害者自身の手によるクラブ対抗の大会を開催しようとの意欲がたかまり2年間の空白ののち、昭和49年に『1974年全国車いすバスケットボール競技大会』が開催された。

この競技大会開催を機に、車いすバスケットボールの組織化が真剣に論議されるようになり、東京パラリンピック以来日本での車いすバスケットボール競技の普及に尽力してきた人々によって昭和50年(1975年)5月2日に「日本車いすバスケットボール連盟(Japan Wheelchair Basketball Federation)」が結成され、同時に全国を10地区とする地方連盟が組織された。

その後の活動

この組織化以後「日本車いすバスケットボール連盟(JWBF)」は、日本における車いすバスケットボールの統合体として、全国的に車いすバスケットボール技術の向上と普及を測り、年1回の選手権大会を開催している。

この大会の名称については、昭和45年の第1回車いすバスケットボール競技大会から通算して昭和51年(1976年)の第5回から名称を『日本車いすバスケットボール選手権大会』とした。 さらに昭和54年(1979年)の第8回からは、内閣総理大臣杯を冠しその歴史を重ねている。

また第10回大会に皇太子殿下同妃殿下(現在の天皇皇后両陛下)、第20回に天皇皇后両陛下、第25回大会に現在の皇太子殿下同妃殿下、そして天皇陛下御即位10年記念大会として開催した第28回には天皇皇后両陛下の臨席を賜っている。

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現在では78チーム(約700名)が選手としてJWBFに登録し活躍している。女子チームも少数ながら積極的に活動しており、1990年から『全日本車いす女子バスケットボール選手権大会』が、阪神淡路大震災により1995年から1997年は他県での開催となったものの、毎年神戸市で開催されている。

四肢マヒのある人にも車いすバスケットボールをと、1980年頃、ルールを工夫した新しい競技が考案された。より重度の障害をもつ人のためにバスケットを低い位置にも配した新しいスポーツ(バスケットが2組ある)車いすツインバスケットボールである。現在日本車いすツインバスケットボール連盟として独立し、正式登録チームが30チーム、未登録を含めると全国で50チーム以上が活動している。

現在は世界へ向けて同競技の普及に力を入れ始めており、1998年10月にはシドニーで行われたIWBFの総会で車いすバスケットボールのファミリーとして認められ、その規約に盛り込まれた。

2013年8月20日付けにて、今までの任意団体から「一般社団法人 日本車いすバスケットボール連盟」に移行する。

国際的活動

連盟結成後は、国際試合に積極的に参加するようになり、1975年大分県で第1回フェスピック(極東・南太平洋身体障害者スポーツ大会)が開催され、車いすバスケットボール競技では日本が優勝、準優勝を手にした。

1977年の第2回フェスピック大会で日本が優勝、1980年オランダのアーヘンでの身体障害者オリンピアード(第6回パラリンピック)では決勝リーグに進出し8位となり、1983年第32回国際ストークマンデビル大会では初めてAリーグ入り3位入賞をはたしたが、それ以後世界の壁は厚く、欧米の強豪に阻まれ、1996年パラリンピックアトランタ大会は11ケ国中8位、1998年シドニーゴールドカップ(世界車いすバスケットボール選手権大会)では12ケ国中9位、2000年シドニーパラリンピックでは同じく12ケ国中9位、日本で初めて開催された2002年北九州ゴールドカップでは12ケ国中8位、2004年のアテネパラリンピックでも12ケ国中8位であった。

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女子は、1984年イギリスのストークマンデビルで開催された第7回パラリンピックへ初出場で3位入賞したが、以後はフェスピック圏内では上位を占めるものの、世界大会では上位入賞は難しく、1996年パラリンピックアトランタ大会では8ケ国中5位、1998年シドニーゴールドカップでは8ケ国中4位、しかし2000年に行われたシドニーパラリンピックにおいて見事3位に入り銅メダルを獲得した。その後は2002年の北九州ゴールドカップでは8ケ国中4位、2004年のアテネパラリンピックでは8ケ国中5位であった。

また、諸外国のゲーム運びや技術を学び親善を図る目的で、外国チームの日本招待活動も行っている。

国際車いすバスケットボール連盟(IWBF)が1988年に設立され、1991年その普及委員会委員に当時の日本車いすバスケットボール連盟会長浜本勝行がアジア地域代表に指名され、同地区の振興を託された。

アジア域内は22カ国中、韓国や中国など数か国が車いすバスケットボールを行っているだけで、それらの国々でも限られた人々が携わっているに過ぎなかった。

1995年に振興目的でタイ、カンボジアへ車いすバスケットボールの実技指導に遠征、タイへは同年再度実技指導を実施した。

同年9月、日本で初のIWBF公認国際大会となったパラリンピックアトランタ大会アジア・オセアニア地区予選会が山形県で開催され、また同地に於いてIWBFアジアゾーンが正式に設立された。以後草の根の普及活動により1997年8月にはタイで東南アジアの6ケ国が参加するクリニックと大会が行なわれ、12月には台湾で第一回アジア・カップ兼ゴールドカップ予選会が開催された。

その後IWBFは世界の車いすバスケットボールの普及をより効率良くするために世界を4つのゾーンに再編し、アジアゾーンはオセアニアゾーンと統合され、1999年6月25日にアジアオセアニアゾーンが新たに設立された。その委員長として浜本勝行氏が再度その要職を預かることになり、2004年以降は現在の渡邊祐一氏がその重役を担っている。

日本車いすバスケットボール連盟は結成以来、国内の車いすバスケットボール普及に力を注いできたが、今後は国内の底辺の拡大、世界を視野に置いた全体のレベルアップ、経済的基盤の確保、アジアオセアニアでの普及など課題が山積している。なお、1996年9月23日からホームページを開設し広く情報発信を行っている。