日本選手権大会とは

(経緯)
日本の車椅子バスケットボールは東京パラリンピック(1964年)を契機に全国に紹介され、大会に参加した選手や関係者によって各地に車椅子バスケットボールチームが結成されました。当時、車椅子バスケットボールは障害者国体の公認種目に入っていなかったので、なんとか公認種目に取りあげてもらうようアピールのため1970年には関東周辺の7チームが集まって「第1回車椅子バスケットボール競技大会」を開催しました。
翌年には「全国車椅子バスケットボール競技大会」が開催され全国から17チームが参加しました。これらの大会開催が評価され1973年に開催された障害者国体鹿児島大会で念願の公認種目として「車椅子バスケットボール競技」が行われました。これにより当初の目的である障害者国体の公認種目となったことで2年間は自主開催を行ないませんでした。当時全国にすでに多くのチームが存在しそれぞれが全国レベルの大会出場を目指していましたが障害者国体は参加チーム数が8チームに制限され多くのチームが出場の機会を得られませんでした。そこでできるだけ多くのチームが参加できる自主大会開催を再開することになり1974年4月に佼成学園高校(東京都杉並区)体育館に20チームが集まり「1974全国車椅子バスケットボール競技大会」が開催されました。
1975年には「1975日本車椅子バスケットボール連盟結成記念大会」を行い、これを契機に全国評議員会で検討され、翌年から“日本選手権”を冠し、開催年度に換えて開催回数を表記することにしました。
回数設定については1970年に「第1回車椅子バスケットボール競技大会」を開いたことから数えることにして1976年5月に開催した大会から「第5回日本車椅子バスケットボール選手権大会」と名打つことにしました。また第7回大会から内閣総理大臣杯を冠していますが障害者が主体となって企画運営するスポーツ大会としては全国的にも稀有な大会となっています。

(現在)
日本の車椅子バスケットボールの最高峰の大会であり、全国に登録している80チームが各地区10ブロックでの予選会を勝ち抜き、東京体育館で優勝を目指して戦う大会で、参加する16チームは最終日のセンターコートに立つのが一つの大きな目標となっています。この大会は天皇・皇后両陛下、皇太子殿下・妃殿下のご臨席も賜っており今日では障害者スポーツのリーダー的存在として広く認知されて来ています。

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